3月20日~22日までの3日間、アメリカのマサチューセッツ州ボストンで開催された、米国ファンドレイジング協会(AFP=Association of Fundraising Professionals)主催の「2016 International Fundraising Conference」に参加してきました。
ここまでに、9つの分科会と2つの講演についてレポートさせていただきましたが、最終回は、今回の参加から得た3つの気づきを共有させてください。
■その1(こちらに掲載)
■その2(こちらに掲載)
■その3(こちらに掲載)
■その4(本記事)
1.ファンドレイジングの基本は寄付
60にも及ぶ分科会のタイトルを見ると、その内容が寄付集めに、しかも個人からの寄付集めに関するものが多いことに気づきます。ご承知のように、「ファンドレイジング」の定義(広義)は団体の資金調達全般を意味します。狭義の「寄付」から「会費」、「助成金」、「事業収入」、そして「融資」までを視野に入れたファンドレイジングの体系から考えると、少し偏っているように感じました。
しかし、実際に受講すると、「寄付集め」の基本となる、共感の獲得、関係性の構築、ステップアップ、評価が、その他の資金の調達にも通用することに気づかされます。
セッションでは、具体的な寄付集めのテクニックについても語られましたが、いずれの場合も基本は「適切なコミュニケーション」で、その対象が寄付者であれ、サービス購入者であれ、企業であれ、助成財団であれ、行政であれ、融資機関であれ、基本は同じだと思い至りました。
いくら素晴らしいプロジェクトの構想があっても、共感と信頼の得られない助成金申請書は採択に至らないでしょう。NPOが商品を提供する場合の第一の「お客さん」は共感型購入者、まさに個人支援者です。企業であっても、行政であっても、融資をする金融機関でも、対応するのは「個人」。その「個人」を通じてファンドレイジングをしていくには、戦略的な共感マネジメントを基本とする個人寄付のファンドレイジングがしっかりとできるファンドレイザー、そして信頼される団体でなくてはならないということでしょう。
ファンドレイジングは、「寄付に始まり、寄付に終わる」ということを再認識しました。
2.世界共通の理論と地域で求められるファンドレイジング
米国でのファンドレイジング大会ですので、講師も参加者もほとんどが米国人。とりあげられた事例のほとんどは米国の団体のものでしたが、そこからの学びは世界共通のものだと思いました。
私の英語は「教室で学んだ」だけですが、その語学力でも講義の内容がけっこうわかると感じるのは、用語も含めて「共通言語・文脈」があるからだと思います。そういう意味では世界共通の理論をもとに、それを掘り下げ、進化させていくのがAFPの大会だと言えます。
それでも、アジアからの参加者を交えて米国の人と休み時間に雑談している中で、「お金って汚いものだって思われている」、「遺贈のような死まつわる話題はタブー」といった話題になりました。米国の人は「信じられない!いろんな人の手を渡るお金って、まあ物理的には汚いかもしれないけど。」とか、「寄付は天国への切符だって思っている人もいるのよ。早いうちから切符の予約(遺言)しておかないとね。」というような話をされて、皆で笑いましたが、このあたり、やはり「アジアならでは」のファンドレイジングもあるのではと思いました。
インドを拠点にしたファンドレイジングの国際大会はありますが、やはり東南アジア、それも儒教精神のバックボーンがある国々と、いつかファンドレイジングについて学びあう機会があるといいと思いました。
3.米国のファンドレイザーの人たち
実は、私の過去2回の参加は日本ファンドレイジング協会からの派遣で、米国や各国のファンドレイジング協会を代表するような人たちとの交流や情報収集が主な目的でした。そういう立場にある人たちは、「天性のファンドレイザー」と呼べるような人たちで、コミュニケーションの達人で、ある種のオーラを感じて圧倒される思いでした。また、会期中にはセッション以外のミーティングや食事会も多く、あまり会場の人たちとゆっくり話したりできませんでした。
今回からは個人としての参加でしたので、一般の参加者の人たちと知り合うチャンスがたくさんありました。
ランチの行列に並んで、参加費に含まれている無料のお弁当を確保して、空いているテーブル席を見つけて、知らない人たちと一緒の時間を過ごすと、そのなかには、人種や年齢に関係なくファンドレイジングを始めたばかりの人や、そもそも人見知りする人がたくさんおられました。
おずおずと名刺交換して、自己紹介して・・・気が合った人たちとは一緒にセッションに出たり、展示ブースを回ったり、「率直な感想」を言い合ったり、仕事の話以外にも家族写真を見せ合ったりしながらコーヒー飲んだりしていました。
そういう人たちは、「オーラ輝くファンドレイザー」とは違って、つくづく普通の人で、しかし努力の人たちでした。
実際、参加者にはそういう人たちのほうが多いのです。そういう人たちが、「参加費高くて3年に一度しか参加できない。」、「人が多くて疲れる。」、「ランチの分量が少なすぎる。」、「ドーナッツくらいはタダにしてほしい。」、「子どもに電話しないと。」、とか言いながら、こうした機会に熱心に勉強をして、職場で経験を積んで、苦労を重ねる中でファンドレイザーとして働いているのだというのを実感しました。
今回、会場で「小さな団体」の人たちともたくさん会いました。「古いビルの一室に机が2つと電話とファックスとプリンターだけ。パソコンは自前。」、「キャビネットの整理をしないと、ペーパレスってありえないわ。」、「理事の自分も含めてボランティアはたくさんいるけど、有給職員は2人だけ。」、「コミュニティ財団とユナイテッド・ウェイから助成金が出て立ち上げたけど、万事これから。」とか、「シェアオフィスで看板がない。」とか、そんな感じです。年間予算規模も2-3千万円あるのかなあ・・という感じです。
それでも、ランチの後に一緒に各社の展示ブースを回っていたときに、「こういう有料のサービスって高いから、ウチはとても導入できない。IT関連は無料バーションだけ。でも、今、ファンドレイジングの世界にどういうサービスがあって、なぜ必要なのかを知っていることが大事よ。自前でまねしてやれることもあるから。でも、いつかは、こういうITソリューションなんかも導入していくつもり。」と話されていました。
こういう向学心と向上心が、ファンドレイザーを、そして団体を成長させていくのだと思いました。
以上が、今回私が感じたこと、気づいたことです。
・大会セッションのレポート
■その1(こちらに掲載)
■その2(こちらに掲載)
■その3(こちらに掲載)
■その4(本記事)
・ほぼ全ての分科会の配布資料は、下記のAFPのサイトで一般公開されていますので、それらもぜひご参照ください。http://conference.afpnet.org/2016/ConferenceHandouts.cfm
・また、大会の開催模様は、今回、ラボの仲間のおひとりでもある、PubliCo(パブリコ)の長浜洋二さんが詳細なレポートを「PubliCoジャーナル」に掲載されています。米国のファンドレイジングに関連する「知見」と「市場」と「ネットワーク」の成熟度と規模感が読み取れる貴重なレポートです。こちらも、ぜひ、ご一読ください。 http://publico.jp/journal/641/
・今回、日本からは14人が参加しました。日本ファンドレイジング協会事務局からは3人が参加し、三島理恵さんがレポートを「ファンドレイジング・ジャーナル」に掲載しています。会員向けオンラインジャーナルですが、この記事は一般公開されています。こちらも、ぜひ、ご覧下さい。
http://jfra.jp/fundraisingjournal/759/